暮六ツの雨 (お侍 拍手お礼の十七)

         *囲炉裏端…かなぁ?
  

暮れ六つだったか四つ下がりだったか、
それともいっそ“宵越し”だったかはっきりしなくて恐縮なのだが。
宵から晩にかけての時間帯に振り出した雨は、
気温を左右する陽が出ていないせいでか、
なかなかやまないことを昔の人は既に知っていて。
遅くになって開眼した道楽は、なかなか辞められないということの
ちょいと小粋な言いようの喩えにも引っ張り出されたほど。
年増女の深情けみたいなもんでしょか。
(おいおい)

 *ななつ下がりの雨は止まず…が、正解でした。
  夕方4時過ぎ辺りから振り出した雨はなかなかやまないことから、
  “四十過ぎの道楽は止まぬ”なんてのをくっつけて、
  取ってから覚えた性癖は一生続くとの例えに用いたらしい。(09.08.05.)


例年ならば稲を刈るのに最適な頃合い、
秋晴れの乾燥した良いお天気が続いていた神無村だったが、
神無村要塞化計画の各所作業を捗らせてくれていたそのお日和が、
その日、俄に崩れたのは宵になってからのことで。
それぞれの作業場にて監督責任を担当していたお侍様がたは、
戦さ場で身につけた感覚により、多少なら気象を読むことも出来る方々揃いだったし、
何より、村の衆らは生まれた時からお天気と密接なお付き合いがある農民たち。
月に懸かった雲が結構な勢いで厚みを増して流れゆくのを見上げ、
これは少々長く降り続きそうかもと測ると、
造成作業は一時中断、休養主体の交替制へとシフトし、
屋内でこなせる手仕事の方へと人員を割
(さ)くことと相なり。
弓の習練をしていた面々も、
本番が雨の中になる恐れもなくはなかったがそれ以前の問題として、
風邪など拾っては意味がないからと。
こちらの陣営もやはり、体力温存を選択し、
屋内での弓の修理や矢の備蓄の方へ向かうようにと、
監督担当の金髪紅衣の若侍が弓と矢を手にして
「これを」
短く呟いた一言でそうと指示を出し、今宵のところは解散となった。
「…。」
篠突く雨というほどもの激しさはない雨脚で、
それでも濡れるのは嫌っての足早に、
皆が家や作業用の小屋へと散ったその後を見送ってから、
彼もまた、その場から踵を返しかかったのだが、

 「…ちょっと待った。」

そんなキュウゾウの手を捕まえたのが、
大きめの傘を差し、歩み寄って来ていたシチロージ。
「何処へ行こうってんですか? キュウゾウ殿。」
柿渋を引いた番傘の表へ、
降り落ちる雨がパタパタと弾けては小気味のいい音を立てていて。
だが、そんな音がなかったとしても、
「…。」
こちらへ背中を向けたままの痩躯の君の声は放たれず、
シチロージには何も届かなかったことだろう。
「まさか、鎮守の森で雨宿りなんてことを、考えてやいないでしょうね。」
「…。」
黙んまりの姿勢は変わらねど、
かぶりを振らないということは、図星であった証拠かとの判断をしたおっ母様、
「ダメですよ。雨だけなら少しくらいは しのげるかもですが、
 その後、濡れたままでいれば底冷えするに決まってます。」
今も既に冷たい手をしている彼だというのにと、
捕まえたままの白い手を見下ろし、
やれやれと眉を下げるといかにも困ったようなお顔になって。
「大体、すぐの近場に詰め所があるのに、
 何でまた わざわざそんな遠くへ行こうとなさるんで?」
そういう行動を取るお人だろうなと読んだことは読んだけれど、
何故またというところまでは…さすがに判らないシチロージであり、
「人がたくさん居るところは苦手ですか?」
訊きながら傘を差しかければ、傾いて雨音が変わったことからか、
「…。」
やっとのこと振り向いたキュウゾウが、だが、
もう一方の手で、傘の縁を押し返そうとする。
そうそう柔な作りではないが、
支柱の末の柄がしっかと掴まれていたので動かなかった分、
傘の骨がたわんでしまい。
上へ溜まっていた雨粒がその手へと流れ伝うのに、シチロージがハッとした。
「キュウゾウ殿?」
袖へと流れ込む雨が冷たかろうに、
「濡れる。」
シチロージが、と言いたいのだろう彼へ、
「だったら。一緒に詰め所へ戻りましょうよ。」
こやって立ちんぼしているだけでも、足元から冷えて来るでしょうにと、
そうと言って促した、そんな母上の足元の方がよほど装備が薄いと気づいたか、
「…。」
差しかけられた傘の縁、抗うように掛けていた手をやっと引くと、
大人しく同じ傘の下、雨の振り込まぬ空間の中へと入って来るキュウゾウであり。
「ほら、もうこんなに濡れてるじゃないですか。」
「…。」
歩き出しつつ、手ぬぐいを取り出したシチロージの手から、
手ぬぐいではなく、傘の柄を取り上げ、

 「急ぐぞ。」
 「はい?」

相手の肩に腕を回すと自分の肩へと引き寄せつつ、押し出すように速足になる。
そういう要領というものがあるものか、
ぬかるみ始めた道のはずが、踵があまり触れないままという軽さにて、
さかさかと進めてのあっと言う間に、詰め所の戸前まで辿り着けており、
「…これは。」
自分の方が少しほど上背もあるのに、
まるでこっちが爪先立つよう、ひょいと抱えられ、
そのまま飛ぶように宙を渡って来たかのような感覚だった。
「…。」
古農家の軒の下、唖然とするこちらを見上げて来るお顔は、
戸に近づき過ぎての陰の中に没してよくは見えなかったけれど、
気のせいでなく…ちょっとばかり微笑んでいたようで。

 “…そうか、体術で。”

その太刀筋が鮮烈にして鋭く、この若さで卓越の域にあるのみならず、
身軽さを駆使しての、組み手や柔術も得手とするキュウゾウであり。
当人が痩躯で妙齢の女性と変わらぬほど軽くとも、
相手の重さや力のベクトルを把握しての重心操作で、
仰々しくもわざわざ抱え上げなくとも、
このくらいの仕儀は難無くこなせてしまうのだろう。
それと気づいての理解がシチロージの頭の中で追いついたと同時、
「シチロージか?」
「あ、ははは、はいっ!」
戸前の気配に気づいてか、
中においでだったらしきカンベエ様が、向こうからお声をかけて来て。
立て付けの悪い戸ががたぴしと歪みつつも開いたその刹那、
「…。」
母上の注意が逸れたろうと読んでのことか、
雨の帳の中へと後ずさりをし、
風のようにその身を溶かして消えようとした双刀使いの君を、
「…だから。」
お待ちなさいと、
すかさず二の腕を捕まえて引き留めた母上だったは お見事で。
(苦笑)

 「…何をしておる。」

こちらさんは槍使いだったから、
キュウゾウが畳んで戸口に立てかけた番傘を素早く掴むと、
彼の背後という大向こうへと差しかけての振り抜きざま、素早き所作にてポンと開き、
そこから先へ逃れぬようにと退路を塞いだはなかなかに見事な手際であり。
その上でもう片方の手では、懐ろへと相手の痩躯を引き寄せて、
逃がしませんよという姿勢を徹底して表していた古女房と。
「…。」
背後で傘が開いたなぞという思いも拠らない気配への反射、
恐らくは当人としても測らぬ反応行動として、
こちらからも目の前の懐ろへと踏み込む格好になり、
おっ母様の計算通り、体よく捕まってしまった次男坊だったりしで。

 「そこまで大層に構えねば捕まらぬかの?」

傘という得物まで使っての取っ組み合いに見えなくもない彼らへと、
惣領殿が少々呆れて苦笑をし、
二人ともさっさと囲炉裏にあたりなさいと、
双方の首根っこを大きな手で掴んで引き寄せたのは言うまでもなかったのであった。





  * おまけ *


髪や肩口、足元なぞが、既に濡れかけていたものを、
囲炉裏にかけられた鉄瓶の湯を使ってのおしぼりと足湯で、
何とか冷える前にという手当ては間に合ったものの。

 「蜂蜜で誘うとか、いやさお主が髪を梳いてやろうとか言えば、
  それだけでついて来るのではないか?」

キュウゾウは確かに、
生半な次元では収まらぬほどの練達の士ではあるが。
わざわざ気に入りのシチロージが迎えに行ったのに、
それでも素直について来なんだらしいのがどうにも解せなかった惣領様。
訊くに事欠いて、いやに直球な言いようをなさったが、
ともすれば撒き餌扱いのお言いようへ、だが、そうと気づかなかったか、
古女房は肘からの高々と双腕を上げながら うなじへ手をやり、
濡れてしまった髪を手際よくほどきつつ、あっさりとかぶりを振る。
「今宵はダメですよ。」
「?」
「他の方々も雨宿りにと戻って来るかも知れないでしょう?」
今になってそれと気づいたらしく、
すっぱり言い切ったおっ母様もなかなかのものだが、
そんな一言で“…ああ”と気がついた惣領様もおサスガで。
そのまま顎髭を撫でつつ、擽ったげな苦笑を口許へと浮かべ、
「お主が忙しくなろうから、独り占め出来ぬなら意味がない、か。」
カンベエの言いようへ、いやそこまでは…と母上の側は否定にかかったものの、
「……。/////////」
細かい雨露をきらめかせていた髪を手ぬぐいで押さえつつ、
ふいっとそっぽを向くキュウゾウであるところを見ると…大正解であったらしく、

 “存外、我儘な甘えん坊なのだの。”

今更ですぜ、カンベエ様。
(苦笑)
上がり框に並んで腰掛け、古たらいに張った湯で足を温めて、
冷えが上って来かかっていたもの、何とか寸前にて防御して、さて。
水を張り直した鉄瓶が沸いたので、

 「ほれ。これでも飲んで、今宵はもう寝てしまえ。」
 「わっvv お珍しいvv」

今宵は特別、惣領様が手づから作った飴湯をいただき、
腹が温かいうちにと、母子
(…)は隣りの間へと衾を並べての早寝となって。
それからしばらくすると、
差し入れの一升徳利を下げてゴロベエ殿が戻って来ての、燗酒にての寒さ除け。
他の方々も、作業場近くの小屋にて、似たよな暖を取っているとのことで。
思わぬ冷たい雨の訪ないに遭ったのに、
それはぬくぬくと、暖かな晩を過ごすこととなった皆様だったそうで。



  ――― 寒中お見舞い、申し上げます




  〜Fine〜 07.3.16.


  *もうすぐお彼岸だっていうのに、まだまだ寒の戻りは続くそうで。
   皆様、イベントへは暖かくしてお運び下さいませね?
(笑)


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